朝鮮の歴史

「韓国併合への道完全版」を読んで⑵

投稿日:2017年10月30日 更新日:

前回は「韓国併合への道完全版」の著者、呉善花氏について主に書きましたが、今回はその内容に入っていきたいと思います。

正直なところ、つい最近まで朝鮮半島の歴史にはほとんどと言っていいほど興味がありませんでした。しかし、昨今の周辺国の動静を見ていると、やはり傍観したままではいられず、問題の根幹は何なのだろうと思い、調べることにしました。

「李氏朝鮮」から「大韓帝国」そして「大日本帝国の朝鮮地方」へ

日本が明治維新を迎える1800年代後半頃、朝鮮半島には1392年から続く「李氏朝鮮」という国家が存在していました。元々は前王朝の高麗の武将だった(女真族との説もあり)「李成桂」が、当時の高麗の王を廃して自らが王となったことから国が成立し、当時の中国王朝「明」から「朝鮮」という国号を下賜され、朝鮮王として柵封を受けました。後に中国王朝が明から「清」に変わった時も、李氏朝鮮は引き続き柵封体制下のままでした。

そして1894年「日清戦争」で日本が勝利を収め「下関条約」を締結した時に、「清国と朝鮮との宗属関係の廃止」を清に認めさせることで、李氏朝鮮は独立への契機を得ることになり、1897年に国号を「大韓帝国」と改めます。ここで「韓」が出てきます。

(大韓帝国国旗)

「日韓併合」とは、「大日本帝国」が「大韓帝国」を併合したので、「日韓併合」と呼ばれています。

今の国名が「大韓民国」だから、「日本が韓国を併合したから『日韓併合」なんだろう』と何となく考えていますよね。ただしっかりと歴史を調べると、1897年から1910年の短い間に、今とは別の韓国、すなわち「大韓帝国」が存在した、ということを思い出しました。そこら辺ってけっこうあやふやなもので、正確な歴史認識を持つためには、重要なところではないでしょうか。

そして1910年、日韓併合によって「大韓帝国」は消失し、「大日本帝国の一地方」となりました。

年号で見た日韓併合の流れはこのような感じです。

李氏朝鮮の政権の内実

では、李氏朝鮮(以下李朝)という国を動かしていた政権の中身についてはどうでしょうか。

本文中に1860~1870年代の朝鮮社会を経験した西洋人、「シャルル・ダレ」の一文が引用されています。それによると、

「一般に、政治的活気とか進歩、革命と言われるものは、朝鮮には存在しない。人民は無視され、彼らのいかなる意見も許されない。権力を一手に掌握している貴族階級が人々に関心を向けるのは、ただ彼らを抑圧してできるだけ多くの富をしぼり取ろうとするときだけである。

貴族たちは、いくつかの派閥に分かれ、互いに執拗な憎悪をぶつけ合っている。しかし、彼らの党派は、なんら政治的、行政的原理を異にするものではなく、ただ尊厳だとか、職務上の影響力のみを言い争っている大義名分だけのものである。朝鮮における最近三世紀の期間は、ただ血なまぐさい不毛の争いの単調な歴史にしかすぎなかった」(シャルル・ダレ著/金容権訳『朝鮮事情』東洋文庫・平凡社)

という有様だったようです。これを踏まえて1800年代の朝鮮の政治状況を見ていきます。

①安東金氏の勢道政治

1800年代の初め頃に、娘が王妃となったことから、その父の金祖淳は「王の外戚」として政治の補佐をする立場になり、自らの一族から要職へ大量に人材登用を行います。これによって「安東金氏による政権の専横」が始まり、権勢を欲しいままにします。(このような王の一族による政権の独占行為を勢道政治と言います)この権勢は次々代の王、哲宗の時代まで続きます。また、1800年代中頃より西洋列強による朝鮮への干渉が始まります。

<政治への影響>

・安東金氏により官職を追われた両班(当時の支配階級)が多数発生

・汚職、収奪などが横行

・農民反乱の頻発

<外国からの干渉>

・1845年、イギリスの軍艦が済州島付近の海域侵入

・1846年、カトリック弾圧に対するフランス海軍からの抗議

<日本との関係>

・江戸時代には合計12回の朝鮮通信使が来訪したが、1811年に最後の通信使が来訪した以降は、通信使の来訪は途絶えていた。

 

②(興宣)大院君の復古的専制政治

(興宣大院君(李昰応) 1820~1898)

1863年に国王哲宗が後継ぎがないまま亡くなると、豊壌趙氏一族出身の趙大妃(王の父の妃)は、傍系王族出身の興宣君の第二子命福を王に指名しました。(李朝では後継者指名権は基本的に王妃にありましたが、大妃が生存していた場合は大妃に指名権がありました)これが「第26代朝鮮国王高宗」となり、その父の興宣君に政治の実権を握らせました。李朝では国王の父を「大院君」と称したので、興宣は「興宣大院君」(以下大院君)と呼ばれました。大院君は王室の権威の回復と、儒教的な王政の復活と強化を通して、李朝本来の専制君主政治の復興を目指しました。

<政治への影響>

・安東金氏一族を政権から追放。自らの腹心を要職に付けた

・派閥や出身に捉われず、才能のある者を高級官吏に登用した

・地方両班の事実上の荘園に名目を与えていた書院の大部分を廃止し、書院に属した土地の免税、免役の特典を奪って再び国家の管轄下に戻した

・地方官吏や豪族たちへの監視を強化し、税の確保をはかり、高利の貸稲制度に苦しんでいた農民への一定の救済制度を実施した

・両班階級からも人頭税を徴収した

・豊臣秀吉の侵略時に焼失した景福宮を再建した

・キリスト教を弾圧し、全国の儒学生から絶大な支持を得た

・外国勢力に対しては、徹底的に鎖国攘夷政策を取った

<外国からの干渉>

・オランダ、ドイツ、アメリカなど西洋列強の干渉を受けたが、鎖国攘夷政策によりことごとく通商を拒否し、外国の艦隊を追い返すことに成功した

ただ上記の点については著者の冷静な考察が記載されており、「国力の劣る朝鮮が他国の艦隊を追い返すことが出来たのは、単に西洋列強の各国が他のアジア地域に領地や権益を獲得したばかりで、そちらの調整に重点を置いていたため、朝鮮に過度の力を割いている余裕がなかったため」だということです。そしてこのことによって大院君は自らの政策方針に自信をつけ、「衛正斥邪〔正(儒教)を衛り、邪(それ以外の全ての宗教)を斥ける〕」の決意を一層新たにし、国民に攘夷の国策を訴えていくようになります。

<日本との関係>

・1868年、明治新政府樹立の通告の為、日本の使節が国書を持参したが、その受け取りを拒否した。

国書受け取り拒否の理由は、第一に文面に「皇上」「奉勅」の文字が使われていること。第二に署名・印章共にこれまでの物と異なっていることの二つでした。

李朝からすれば、「皇」は中国皇帝のみが使える称号であり、「勅」は中国皇帝の詔勅を意味したため、日本の臣下ではない朝鮮王がそのような無礼な文書を受け取ることは出来ない、というどこまでも後ろ向きの考えがありました。

このような考え方は「中華主義」と言われ、中華帝国を中心としてその周辺国は皆藩属国とみなし、中華帝国に対して臣下の意を表し、その庇護・援助を受けることで成り立つ世界の秩序「華夷秩序」の基にもなっています。

・1872年にも日本の使節が修好を求めたが、これも拒否した。

<大院君の失脚>

大院君は華夷秩序に忠実にあらんとして、「清」に対して臣下の礼を取り続けました。しかし、世界の流れは最早華夷秩序の範疇にはなく、当の清の方が欧米列強の侵犯を受けている状態だったため、李朝は国際情勢を適切に認識できず、国際社会の中で孤立してしまいました。そのような情勢の中、大院君が高宗の妃に迎え入れた「閔妃」によって反大院君派の勢力が拡大し、1873年、大院君は政権を手放し引退を余儀なくされます

※本来は大院君の横に閔妃の写真を貼るつもりでしたが、一般的に閔妃とされている写真は偽物(本当は侍女の写真)だという見解もあるので、止めておきました。なお、「韓国併合への道完全版」の中でも閔妃として疑惑写真は使われています。

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