北朝鮮・韓国 朝鮮の歴史

反日種族主義を読んで⑶-竹島(独島)について-

投稿日:2019年11月26日 更新日:

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さて、今回は現在も問題となっている「竹島」についての内容を見ていきたいと思います。

竹島(韓国名:独島)は果たして日本と韓国、どちらの固有の領土なのでしょうか。

その答えも、本書の中には書いてあります。
動画形式の方が良いという方は下の埋め込みからどうぞ。
(竹島(韓国名:独島)について)

 

第2部 種族主義の象徴と幻想

12.独島、反日種族主義の最高象徴

【内容】

独島(日本名:竹島)は韓国固有の領土である

【真偽】ウソ・捏造・都合の良い勘違い

<韓国側のこじつけ勘違い根拠>

①「三国史記」(1145年に編纂された歴史書)に、独島が于山という名前で新羅以来、歴代王朝の支配を受けてきたと読める記述があるとのこと。

<該当箇所>

于山国が新羅に帰服した。毎年新羅に土産品を貢納した。于山国は溟州の東側の海にある島だ。あるいは鬱陵島とも言う。土地の大きさは方一百里である。険峻なのを信じ新羅に服さなかった。伊ショク(さんずいに食)異斯夫将軍が征服した。

 

韓国人はここに出てくる于山が無条件に独島だと断定していますが、これは鬱陵島に成立した国の名前にすぎず、そこに独島が含まれていたかどうかは、この記述からは分かりません。つまり韓国側の希望的観測で勝手に断定しているだけだという事です。

 

「世宗実録地理志」(1454年編纂)にある記述

<該当箇所>

于山と武陵(鬱陵の別名)の二つの島は県の東側、海の中にある。二つの島はお互いあまり離れてはいない。天気が良ければお互い眺められる。新羅時代は于山国と称したが、鬱陵島とも言った。

 

新羅時代は、于山国=鬱陵島でしたが、この記述では二つの島と書かれています。著者の推す解釈だと、于山という国の名前が誤解により島の名前だと考えられ、いつしか于山島という幻想の島が出来上がったと思われるとのことです。

于山国は11世紀初めまで存続していたので、どこかにその名前を付けるとしても、于山国の中心部か于山国の人々が暮らした島になります。しかし、独島は人の住める場所ではなく、大きな岩に近いものです。そうなると、独島がその于山という名前を継承することは矛盾に値することになるというのが、著者の考えです。

 

「新増東国輿地勝覧」(1530年編纂)にある「八道総図」という地図「于山島」と「鬱陵島」が描かれている

(八道総図の鬱陵島と于山島)

→韓国の外務省はこの地図から于山は独島だ、と主張してきましたが、地図では于山島は鬱陵島の少し西側に描かれています。一方、実際の独島は鬱陵島の東南87キロの海の中に位置しています。場所的に全然違うのに于山島が独島だと言うのはどう考えても無理だということです。

 

安龍福事件

→17世紀に入って日本人が鬱陵島に来て漁をするようになりました。その漁民らと安龍福という朝鮮人が魚を獲りに島に行った時に衝突し、安龍福は日本に行き幕府に鬱陵島は朝鮮の領土だと主張しました。日本は鬱陵島が朝鮮の領土だという事を認め、領民が鬱陵島へ行くことを禁止しました。ところが、その事情を知らなかった安龍福は再び日本に行き、日本人が当時「松島」(現在の「竹島」=韓国名「独島」)と呼んでいた島も、朝鮮の領土だと主張しはじめました。安龍福はその根拠として、于山島と鬱陵島が描かれた地図を提示しました。しかし、それは位置が全然違うのにも関わらず、鬱陵島に近いところにあるから「于山島=松島(現竹島=独島)」という勘違いにすぎず、この主張は日本にもそして朝鮮政府にも相手にされず、安龍福は流刑に処せられて結末となりました。

 

⑤1882年の鬱陵島調査

→1881年に日本人が鬱陵島に不法侵入したことをきっかけに、朝鮮国王高宗は鬱陵島を詳しく調査させました。当時、鬱陵島の近くには松島、竹島(日本の竹島とは別物)、于山島があると思われていたので、その存在や距離を調べることになりました。

それによって分かったことは、

・鬱陵島の東北に小さな島がある。それは「竹島」(日本のものとは別の、鬱陵島近くの付属の島)

日本人が「松島」(現竹島=独島)と呼ぶ島は見つけられなかったか、もしくは鬱陵島の付属の島だとみなさなかった(人の住んでいない大きな岩なので島だと思わなかった)

・于山島は見つけられなかった

という3点で、この時点でも独島(当時の松島=現竹島)のことを認識してはいなかったことが分かります。

 

⑥1900年大韓帝国により定められた鬱陵島郡の領域

→1900年に大韓帝国は鬱陵島を郡に昇格し、郡主を派遣しました。その時定められた領域が「鬱陵全島と竹島と石島」でした。

鬱陵島と竹島は前回の調査で分かっていますが、急に石島というものが増えています。これを石島=独島だと政府や学者は主張していますが、竹島以外で鬱陵島に付属する人が暮らす島は現在観音島と呼ばれる島で、つまり石島=現観音島だと言えるとのことです。

1883年から鬱陵島で暮らし始めた朝鮮人たちが、東南の方向に遠く漁に出かけた時に、海の中にある大きな岩を指して「独島」と書き残し始めたと推測は出来ますが、独島はこの時も鬱陵島郡に含まれていなかったという事です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

…このように長い歴史を振り返ってみても、韓国側は実際の所「独島(=日本名竹島)」の存在をほぼ認識していなかった、あるいは認識はあったが自らの領土であるという明確な考えは持っていなかったということが分かります。

それで、独島の履歴を調査し、朝鮮王国に所属していないことを確認してから、1905年日本は「独島(=日本名竹島)」を自国の領土に編入しました。この時大韓帝国は全く異議を唱えなかったのは、やはり独島の存在を認識しておらず、大したことだと考えなかったためだと思われます。

この時点で、竹島(=韓国名独島)は、日本固有の領土になり得た、と言っていいと思います。

 

では、どうして現在竹島は韓国に実効支配されているのか

日本の敗戦後、1948年に大韓民国が成立し、李承晩が初代大統領に就任しました。その後1951年に日本と連合国の間で講和条約が結ばれ、この時日本の領土の境界が決定されました。韓国政府はアメリカに竹島を日本の領土から除くように要求しましたが、アメリカは調査の上、

「独島すなわち竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してない。1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われない」(「ラスク書簡」

として韓国の要求を却下しました。元々韓国の領土でなかったことが明白だったので、本来なら引き続き日本の領土に戻るはずでした。

ところが、このアメリカの見解を不服とした李承晩大統領は、李承晩ラインを発表し、勝手に領土の境界線を決めて竹島を編入してしまいました。そしてその境界線を越えた日本の漁船を拿捕し、多数の死傷者を出すという、非道な事を行っています。それは1965年に日韓基本条約が締結され、両国の国交が回復するまで続きました。日本が主権を回復しておらず、自衛隊の前身組織すらなかった時期だったので、韓国側の暴挙に対応することが出来ませんでした。そして竹島の領土問題は日韓間の他の問題の解決のために棚上げを繰り返され、その間日本政府もあやふやな対応をしていたために、韓国側はつけ上がり、またぞろ嘘とねつ造を持ち出して、今まで説明してきたような適当な根拠で「独島は韓国固有の領土」等と押し通そうとしてきたわけです。

 

だから、根拠がないんだって

今まで出てきた韓国側の「独島は固有の領土」っていう根拠って、全部「そうかもしれない」レベルで根拠が薄いんですよ。

「于山島」という幻の島を「独島だ」と言ってみたり、「石島(トルソム)を方言で読むとドクソムになる。それを独(ドク)と島(ト)という漢字で表すと独島(ドクト)だ。だから石島は独島だ」とか、読み方が似てるからそうに違いないって妄言甚だし過ぎですよね。

それに対して日本は、竹島の事を「松島」と呼んで昔から認識はありましたし、何より1905年に「朝鮮に所属していないことを確認した」上で、竹島を領土に編入していますから、これはもう動かしがたい事実としてあるんですよ。それにアメリカのラスク書簡にほぼ答えが書いてありますよね。

それを、戦後のごたごたに乗じて韓国側の利益のために、国際法を無視して非人道的な方法で竹島を奪ったのが韓国なんです。

どうでしょうここまで読んでみて。

あなたは竹島(独島)は日本と韓国、どちらの固有の領土だと思いますか?

(竹島)

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